20240827

ガンダムSEED FREEDOMが特別版上映をやるそうで。

夏季休暇中にネトフリで見た通常版が普通に面白くて、映画館に観に行けば良かったかな〜……と思っていたところになんてタイムリーなw

これは観に行けということですかね!

上映期間はあまり長くないようなので、行くなら早めに予定を決めてチケットを取り忘れないようにしないとな〜。

それにしても、無印放映当時はそこその強めのアンチだった自分が「映画を観に行きたい」とまで思えるようになったのが驚きです。フリーダムは作品自体に勢いがあったのもありますし、まぁ20年経ってますからね、時間がいろいろ和らげてくれたんでしょうねw

 

ところで「自分はこの作品のアンチだ」と自覚症状を持ったのはSEEDとゼノブレ3の2つです。

「そんなに好きじゃない」「自分の好みではなかった」という作品はアニメにもゲームにも他にある中で、じゃあそれらとアンチになった作品の違いって何だろう?というのを最近考えています。

SEEDとゼ3の共通点として、

 

・人気シリーズの期待の新作

・序盤から主人公の言動に納得感を得られなかった

・それ以外の要素は良い(設定、BGMなど)

・周囲に同じ感想を持つ人がいて共有できる環境がある

 

といった感じのことを思いつきました。

やはりまずは「期待を裏切られた」と感じるところが大きなトリガーになっているのかなと。闇堕ちですね。

それとアニメもゲームも完走までにそれなりに時間がかかるので、感情の投影先となる主人公がさっぱり理解できないキャラだと気持ちも乗らないし、それが続くとだんだん粗探しするようになっちゃうんですよね。そうするともう否定に傾く一方で、作品の内外で自分が面白くないと思う理由ばかり目につくようになってしまう。

で、更にそれを人と共有できるようになると「やっぱりダメダメじゃん!」という気持ちが加速して、気が大きくなってくるとこれは叩いて良いのだと声高に吹聴してしまう・・・というのがアンチに至る一つのサイクルのような気がします。

今になってみると何であんなに負の感情を撒き散らしていたのだろう?つまらないなら見るの(プレイするの)をやめればいいじゃない?と思いますが、当時は自分は間違いは言っていないと思っていたし、アンチはアンチとして最後まで見届けないと気が済まなかったんですよね。たちが悪い(苦笑)

何かを上から目線で叩くというのはそれなりに気持ちが良いことだったりするし、言ってる本人は正しいことを言っているつもりだから、こうなってしまうとなかなか抜け出せない。

でも、傍から見たらこれって意味わからないですよね。嫌なら見なければいいのに、他の面白いコンテンツを摂取すればいいのにって。自分でも頭ではそれが分かっていても、周りから言われると何だか無性に腹立たしくなって余計に拗らせたりもしました。

ここまで来るとそのコンテンツに良い部分があったとしても認められなくなってしまって・・・以下繰り返し。

一応ゼ3の時はSNS上ではそこそこ自粛はしていたつもりですが、まぁそういう空気は漏れ出ていただろうと思います。

 

こういうことを思い出したり考えたりしていて、翻ると最近モヤモヤしていたFF14の7.0批判系の感想というのはやはり期待が大きかったことの裏返しというのもあるのだろうな、と思い至りました。

だからどうというのはありませんが、そういう人達が早いところ負の感情の連鎖から解脱できるといいなと思います。やっぱり距離と時間を置くのが一番ですよ。

自分もいつかまたそういう状態になってしまうこともあるかもしれませんが、その時はそうなる前に「そっちに行くな!」と引き止めてもらえると嬉しいですw